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障害者雇用率低い6都県教委に勧告 NHKニュース を見て [メール投稿]

障害者雇用率低い6都県教委に勧告 NHKニュース
勧告を受けたのは岩手、福島、東京、新潟、滋賀、鳥取の6つの都県の教育委員会です。
「障害者雇用促進法」では都道府県の教育委員会に対して、公立の小中高校の教員や事務職員、それに教育委員会の職員のうち、2%以上の障害者を雇用するよう義務づけていますが、厚生労働省のおととし6月時点の調査では、2%を下回ったところが31都道県ありました。

 どうして障礙者を雇わなければいけないのか、「法律で定められているから」以外の理由をしつこいくらいの言う必要があるんじゃないかな。私は昔習ったかもしれないが忘れた。
 障礙者を雇わなければいけない理由は「お情け」じゃないよね。また、障礙者のために使う公費を減らして障礙者にも納税してもらって国や地方公共団体の収入を増やすため、でもないよね。本音の部分ではそうなのかもしれないが、そんな理由で障礙者の雇用を促進するのは何か違う気がする。
 私が幼い頃であったら、障礙者に対しては「弱い者を助けなさい」という感じで「お情け」的な考え方しかなかったけれど、理念としてはそれではよくないはず。
 ふと、昔書いたエッセイを見つけたので以下に転載しておく。
能力主義で給料を決めてもいいのかな?
 2003年4月18日の朝日新聞を読んでいて答え難い質問を見つけた。
「仕事の能率が悪い人が残業して手当をもらい、仕事のできる人よりも収入が多い。それでもかまわないと思いますか?」
 サービス残業と呼ばれる賃金不払いの残業を容認する人からの質問らしい。私は「それではダメだ」と思っていた時期がある。残業に限らず仕事をしていないように見える人が自分より高い給料を貰っていることが許せなかったのである。その頃に希望していたのが「能力主義」とか「成果主義」と呼ばれる給料の決め方である。良い結果をもたらせばもたらすほど給料が高くなる仕組みである。能力の高い人が能力を発揮すれば高給になる。能力が低くても頑張って成果をあげたくなるし、自分の能力を高めようと努力する人が増えれば職場全体の能力も高くなるだろう。成果が適切に評価されていれば不公平感は生じない。能力が足りないためにすることになった残業は自分の責任である。同じ仕事量を残業せずにこなした人と給料が同じであっても仕方がない。残業させれば成果が増えて給料を増やさざるを得ないので「サービス残業」という概念は存在し得ない。上記の質問が生まれる余地もない。合理的なのでとても好きな考え方だった。しかし、「障害者の雇用」について考えているうちに「能力主義」を肯定し難くなったのである。
 障害者と健常者、このような分け方は好きではないが、ここではこのように分けさせてもらう。障害者の中にも一般的な健常者よりも能力の高い人が多数いるから一概には言えないが、平均で比べたら障害者は健常者よりも能力が低いだろう。「能力主義」は障害によって労働能力が低くなっている障害者にとって不利な仕組みである。給料が低ければ生活の質を落とさざるを得ない。それで良いはずはない。だから「能力主義」を肯定し難いのである。「能力主義」を導入されたら障害者はどうしたら良いのだろう?
 障害者を「能力主義」の例外と考える方法もあるだろう。給料に見合った成果を要求しない方法である。これは障害者を「保護」する対象として見ている。しかし、そのように見られて障害者が喜ぶとは思えない。健常者と同様に一人前の人間として扱ってほしいだろう。そんな障害者の思いを反映してか、最近では障害者を「保護」する対象として見ないようになってきた。さりとて健常者と同様に扱ったら障害者が不利になるのは事実である。そんなジレンマを解決する考え方があるらしい。「保護」は「保護」ではなく、「保護」のように見えるものは「差別除去」である。そんな考え方である。障害者は今まで差別されてきた。健常者にとっては暮らしやすくなってきたのに障害者は置き去りにされてきた。だから今の世の中が障害者にとって暮らし難くなっているのである。そんな長年無意識に続けられてきた差別を除去しようというのである。この考え方だと、「障害者は能力が低い」のではなく、「今の環境が障害者の能力を発揮できないようになっている」となる。環境が改善されれば「能力主義」を導入しても障害者は不利にはならないが、それまでは今までの差別に相当する額を給 料に上乗せする方法も考えられるだろう。障害者ではなく努力しても仕事の能率が悪い人には羨ましい考え方である。
 そもそも労働の目的が「お金」だから不公平感が生じて、上記の質問が生まれるのだろう。目的が違えば不公平に思うことがないだろう。ところで雇用は雇う側と雇われる側の契約なのだから、雇う側が決めた給料の仕組みが気に入らなければ雇われる側は契約しなければ良いようにも思える。新約聖書のマタイによる福音書第20章の「ぶどう園の労務者のたとえ」なんて示唆に富んでいると思うのだがどうだろう?
2003年4月20日 正己

 ちなみに、「障害者の雇用の促進等に関する法律」の第一条(目的)から第六条(国及び地方公共団体の責務)は次の通り。
障害者の雇用の促進等に関する法律
(目的)
第一条  この法律は、身体障害者又は知的障害者の雇用義務等に基づく雇用の促進等のための措置、職業リハビリテーションの措置その他障害者がその能力に適合する職業に就くこと等を通じてその職業生活において自立することを促進するための措置を総合的に講じ、もつて障害者の職業の安定を図ることを目的とする。

(用語の意義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一  障害者 身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者をいう。
二  身体障害者 障害者のうち、身体障害がある者であつて別表に掲げる障害があるものをいう。
三  重度身体障害者 身体障害者のうち、身体障害の程度が重い者であつて厚生労働省令で定めるものをいう。
四  知的障害者 障害者のうち、知的障害がある者であつて厚生労働省令で定めるものをいう。
五  重度知的障害者 知的障害者のうち、知的障害の程度が重い者であつて厚生労働省令で定めるものをいう。
六  精神障害者 障害者のうち、精神障害がある者であつて厚生労働省令で定めるものをいう。
七  職業リハビリテーション 障害者に対して職業指導、職業訓練、職業紹介その他この法律に定める措置を講じ、その職業生活における自立を図ることをいう。

(基本的理念)
第三条  障害者である労働者は、経済社会を構成する労働者の一員として、職業生活においてその能力を発揮する機会を与えられるものとする。

第四条  障害者である労働者は、職業に従事する者としての自覚を持ち、自ら進んで、その能力の開発及び向上を図り、有為な職業人として自立するように努めなければならない。

(事業主の責務)
第五条  すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、その有する能力を正当に評価し、適当な雇用の場を与えるとともに適正な雇用管理を行うことによりその雇用の安定を図るように努めなければならない。

(国及び地方公共団体の責務)
第六条  国及び地方公共団体は、障害者の雇用について事業主その他国民一般の理解を高めるとともに、事業主、障害者その他の関係者に対する援助の措置及び障害者の特性に配慮した職業リハビリテーションの措置を講ずる等障害者の雇用の促進及びその職業の安定を図るために必要な施策を、障害者の福祉に関する施策との有機的な連携を図りつつ総合的かつ効果的に推進するように努めなければならない。

 書いてあるのは、この法律の目的であって、この法律が必要な理由を前文に載せても良いんじゃないかなと思う。
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