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埼玉・千葉連続刺傷:「再犯防止策」どう判断 きょう判決 /埼玉− 毎日jp(毎日新聞) を見て [メール投稿]

埼玉・千葉連続刺傷:「再犯防止策」どう判断 きょう判決 /埼玉− 毎日jp(毎日新聞)
 ■刑罰の「威嚇力」

 検察側は、少年法が定める有期刑の上限である懲役5年以上10年以下を求刑。論告では、計画性や結果の重大性を強調し、発達障害の影響や家庭環境などが絡んで犯行に及んだとした。また、障害自体は個性であり治療できず、施設での限られた手段や期間で治療しても「再犯可能性は高い」と指摘。「刑罰の威嚇(いかく)力が再犯防止に有効だ」と結論付ける。

 ■治療で再犯防止

 弁護側は、障害が放置されたことで、特徴である興味や関心の偏りが「少女を殺して性欲を満たしたい」という衝動に至り、事件を起こしたと主張。医療少年院で専門的な個別治療を受け、衝動の制御の仕方を身につけさせるべきだと強調する。「少年刑務所では個別対応が3年間か20歳までに限られ、それ以降は集団生活となる。治療しきれず、結局、再犯防止につながらない」と述べ、保護処分にすべきだと訴える。

 このニュースは少しショックだった。
 再犯防止の手法が争点になっていることが問題なのだが、検察側の論理が差別丸出しで怖かった。傍聴してないし判決文も読んでないから詳細は不明だけど、この記事から判断すると、検察側の論理は次の通り。
 被告人は広汎性発達障害で家庭環境が悪くて犯罪者になった。広汎性発達障害は個性で病気でないから治療できず、治療できないから被告人は広汎性発達障害のままで、犯罪者となった被告人は犯罪者のままで再犯可能性は高い。再犯を防止するには刑罰を科して「刑罰は嫌だ」と学習させるしかない。そんな感じ。
 たしかに、広汎性発達障害は治療できない。行動パターンは学習で変えることができるが…。「障害は個性」とは障礙者の支援者からよく聞く言葉。その「障害は個性」が刑罰を科す理由に使われたところが怖かった。
 弁護側の再犯防止策も結局は検察側と一緒。結局は被告人は再犯可能性が高いので医療少年院という特別な施設に閉じ込めて行動パターンを変えさせる案。刑罰のように「罰」ではない方法ということらしいが、自由を奪う点で「罰」と同じ。苦しさが違うかもしれないが…。それと、「個別治療」とあるけれど、発達障害に対して「治療」という言葉は不適切。
 ところで、この裁判の結果は次の通り。
連続少女刺傷:少年の家裁移送決定…さいたま地裁− 毎日jp(毎日新聞)
 埼玉、千葉両県で11年11〜12月、少女2人が刃物で切りつけられた連続少女刺傷事件で殺人未遂などの罪に問われた埼玉県三郷市の少年(18)の裁判員裁判で、さいたま地裁は12日、さいたま家裁へ移送する決定をした。

 争点は、刑事処分か保護処分かだったが、田村真裁判長は「医療少年院に長期間収容して個別の治療や矯正教育をし、保護観察所に家庭環境の調整をさせることこそ、再犯防止の最良の手段」と述べた。

 少年は事件後の精神鑑定で、生まれつき興味や関心に極端な偏りがある特定不能の広汎(こうはん)性発達障害と診断された。弁護側は保護処分のための家裁移送を求め、検察側は懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑していた。

 決定は、結果の重大性や計画性を認め「刑事処分を選択するほかないように思える」と指摘。しかし、その上で、障害の影響により少女への加虐性愛というゆがんだ価値観が形成され深化したとし、「障害や不適切な成育環境が動機に直結した。そうした事情がある少年を責めることはできず、動機の悪質性を少年に不利に考慮するのは相当でない」と判断した。

 弁護側の勝利だが、検察側も納得しているようである。さらには、解説で副島洋明弁護士は『「画期的な決定だ。司法が障害を理解しようとし始めている姿勢の表れだ」と高く評価した』ようである。
 何か違う。上手く表現できないが、何か違う。
 検察側、弁護側、裁判官のそれぞれが「広汎性発達障害の危険性」を示した裁判のような気がする。また、危険性を除去するには「閉じ込めて矯正した方が良い」と示した裁判のような気がする。
 何か間違ってる気がする。上手く表現できないが、何か間違ってる気がする。
 上手い表現が思いつかないので、ここまで。

追記:
 「そうした事情がある少年を責めることはできず」が画期的なのかな? 副島洋明弁護士も再犯予防の方法ではなく、少年の罪を認めなかったことを高く評価したのかな? それなら分からないではないが、悪く解釈すると被告人を自分の意思を持たない「動物」と同じようなものだとみなしていることになる。動物も自分の意思は持っているのだろうが…。
 それと、発達障害に限らず、性格形成に家庭環境は影響する。家庭環境が良くても他の環境が悪ければ犯罪者になることだってある。環境のせいにしたら全ての犯罪者に罪が無くなっちゃうんだよね。環境の影響の受けやすさに違いがあって、広汎性発達障害の被告人の場合は環境の影響を極端に受けやすかったので自分では避けられずに他人に危害を加えるようになったので罪が無いということなのかもしれないが…。

追記(2013/3/13):
 この問題の分かりにくさについて参考になりそうな論文があった。
【人間文化創成科学論叢 第11巻 2008年 少年非行と障害の関連性の語られ方 : DSM型診断における解釈の特徴と限界 木村祐子】

追記(2013/3/13):
 私の中で広汎性発達障害から非行までの流れは次のようなイメージ。
20130313_1.png
 これは広汎性発達障害に限らず、全ての人に言えることなんだけど、きっかけや強化が無ければ非行には至らず、「広汎性発達障害だから危険」というわけでもない。
 また、「治療する」というのは、この図の一番上を変えるということで、それは間違っているだろうと思う。非行は学習の結果、強化の結果なので行動分析学的なアプローチで弱化すれば良いのだと思う。その弱化の効果的な方法だが、行動分析学的には「罰」を利用するのではなかったと思う。「心を開く」とか精神分析学的な方法でもない。所謂精神科医が得意な精神療法は違う気がする。結果として、弱化になる場合もあるだろうが…。
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