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法律は制定時の趣旨を超えて悪用されうる [メール投稿]

特定秘密保護法:成立半年 元最高裁判事・滝井繁男弁護士に聞く - 毎日新聞
 法律は一度できてしまうと、制定時の趣旨を超えて独り歩きを始めることがある。特定秘密保護法について最も心配しているのはこの点だ。

 そのような事例が最近あった。刑事裁判で再生された取り調べの録画DVDをNHKの番組に提供した弁護士が昨年5月、「証拠を裁判以外の目的に使った」として大阪地検に懲戒請求された。しかし私は、「取り調べ過程の汚点を暴露された」と受け止めた検察の報復心もあったのではないかと考えている。

 証拠の目的外使用禁止は、2004年の改正刑事訴訟法で定められた。検察が持つ証拠の開示範囲拡大に伴い、これを乱用して裁判の公正を損なったり、関係者の名誉を傷つけたりするのを防ぐため、というのが政府の説明だった。最高裁判事だった私も、規定の新設には一定の合理性があると考えていた。

 その時は9年後にこんな使い方をされるとは思ってもみなかった。映像は法廷で公開されたもので、NHKは顔にぼかしを入れて放送した。関係者も了承し、誰の権利も侵害していない。弁護士の行為は取り調べの実情を広く知らせ、国民の「知る権利」に応えるものだった。

 検察は、たまたまあった条文を形式的に適用して意図を実現しようとした。法律だけを見て、その上位にあるはずの言論や表現の自由、知る権利といった憲法の理念は考慮していない。

 特定秘密保護法でも同様に、今は想定されていない事柄に適用される可能性がある。

 特定秘密保護法に限らず、私が気にしているのはこの点。
 証拠の目的外使用禁止が規定された経緯は知らなかったが、悪用された事例として頷けた。
 野党もマスコミも新聞やニュースの視聴者も、閣僚や官僚の国会での答弁で「問題無し」とする傾向が無いだろうか?野党の国会での質問の仕方もそう。「〜のおそれがある」「〜はしない」というやり取りばかりの気がする。そうではなく、悪用が不可能なように法律を作らなければいけない。「〜のおそれ」があるのなら、「〜はしない」という答弁で納得するのではなく、「〜できない」法律を作らなければいけない。内閣が変わった場合、独裁者が首相になった場合を想定して彼らの暴走を止められるような法律を作っておかなければいけない。
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